注目される浅草は特別な街ではない

一般社団法人浅草観光連盟は二名の事務職員以外は浅草を愛する人たちが集まり、ボランティアで活動する団体です。観光行事の企画運営にを行っています。

先人達が守り続けてきた伝統文化の継承を広く世界に伝えていくことでたくさんの人が来てもらうようにと活動しています。歳時記やイベントなど浅草の情報を日本だけでなく世界に配信しています。観光立国を目指す日本において地方の観光需要の活性化が求められています。

ご紹介した施策を参考にしていただくことで新しい枠組みで人々が集まる仕組み作りに役立つと信じています。地域の総合力の結集により世界中から人々が来てもらう仕組みを作り、その情報を発信する新たな枠組みが作れると思います。

浅草の実態

訪日外国人観光客の勢いは衰えていません。テレビのニュースでも訪日観光客に関係するニュースが増えています。このインバウンド関連のニュース映像の冒頭に必ず映るのが雷門です。雷門の前で写真を撮る外国人の姿はいまや日常の光景です。

訪日外国人はなぜ雷門を目指して来るのでしょうか。日本にいるとわかりませんが海外で日本ツアーのパンフレットやWEBサイトに必ず雷門と富士山の写真が掲載されています。我々がパリに行くと凱旋門とエッフェル塔に必ず行くのと同じ理由でしょう。

現在の雷門は戦争で消滅した後に松下幸之助さんの寄進されたものだ。当時関西に比べると全国ではまだ知られていなかった松下電器産業による、知名度向上を目指したマーケティング施策でした。松下幸之助さんも雷門が世界中に広まることまでは予想できていたとしたらすごいですね。

浅草に来る外国人の個人観光客のほとんどは雷門で写真撮影し、仲見世を通って雷門より大きい宝蔵門で写真を撮り、さらに浅草寺本堂、西側にある影向堂などを撮影します。ほとんどの人たちは店頭で買い食いする程度の消費で帰ってしまいます。大型バスで来る中国人団体外国人観光客の場合は二天門近くでバスを降りて二天門から浅草寺本堂へ向かい、浅草寺を散策した後にドラッグストアへ吸い込まれてしまいます。

食事は中国の団体客専用の飲食店を利用しています。つまりほとんど古くから商売をするお店ではお金を使わないようです。以前上海から来た観光客になぜ浅草に来るのか聞いたことがあります。彼女は「上海の方が高いビルや奇抜な形のビルが多く東京より都会なのでつまらない。

浅草は日本文化を引き継ぐ建物が多くあり日本にいるとはっきりわかる写真が撮れる。」と言うことでした。ソーシャルメディアで旅行の様子をお友達に見せることが目的になっており、日本らしい光景を取れる場所、それが浅草のようです。

レンタル着物と人力車

雷門に来ると明らかに一昔前と違っていることがあります。それは人力車の車夫が客引きする様子と、鮮やかな配色と柄の着物を着た人がたくさんいることです。人力車を運営する会社や個人が十数軒あり浅草駅から雷門にかけての歩道で英語や中国語で勧誘を行っています。

また着物レンタル店は40軒を越えており驚くほどの数の着物姿の女性とそれに連れられた着物姿の男性が写真をとっています。日本にあこがれて、「日本人と同じ事をしたい」日本人になりきった写真を撮ることが手軽にできるのが浅草ということのようです。着物に着替えて浅草寺の伽藍をバックに写真を撮り、人力車に乗って写真を撮る。けっして今の日本人の普通の姿ではないが、私たちが忘れていたなにかを気がつかされたきがします。

着物を着ている人の言葉を聞いているとどこから来た人たちか確認できます。最近驚いたのは着物を着た若い女性の言葉が日本語なんです。日本の若い女性たちが外国人の着物姿に影響されたみたいです。着物姿の日本人も、浅草寺境内や、浅草の街で自撮りをして楽しんでいます。

繁栄と衰退の繰り返し

浅草は西暦628年に隅田川から漁師が拾い上げた観音像を祀ったことに始まります。この観音様(浅草寺)を参拝する人が集まり周辺に商業が発展してきました。同時に歌舞伎に始まり多くの興業が行われる街として発展してきました。そんな浅草も何度となく危機的な状況を乗り越えてきました。関東大震災による被災。東京大空襲では浅草寺の伽藍もすべて焼き尽くされ一面の焼け野原になりました。それでも浅草は六区興業街から徐々に復活し浅草寺の伽藍が再建されたことで再び繁栄しました。

しかし前回の東京オリンピック開催に伴い興業がカラーテレビの普及によりお茶の間へ移ってしまいました。新宿、渋谷などの繁華街が注目を浴びるようになり人々が浅草に来なくなってしまったのです。「浅草はもう終わり」とも言われるなかで私たちの先輩が選んだ選択は伝統文化を守り継承することでした。四季折々の歳時記となる様々な市や仏事神事の行事を大切にして開催し続けてきました。

その結果として和の伝統、文化の継承につながり、物理的なまちづくりにも大きく影響しました。商店街が次々と江戸街を模した作りに変わり浅草寺の伽藍だけではなく街全体が日本らしさを写す舞台にもなっていきました。結果として現在のソーシャルメディアの爆発的な普及により自撮りする外国人観光客の心をつかんだことは間違いありません。


浅草観光連盟 広報担当理事 
株式会社イーウィルジャパン 代表取締役社長
飯島邦夫